■BASARAシリーズに信幸が出たらいいな同盟趣旨■
幸村の兄・信之(信幸)がBASARAキャラとして出てきてくれないかな〜、という願望が一人歩きして形になってしまったサイトです。あくまで妄想を語ってるだけなのでかぷこむ様他、公的に全く何の関係もありません。罪無い戯言として流して頂けると幸い。



■信幸の簡単プロフィール■
真田源三郎信幸、後に「幸」の字を改め信之、幸村の兄(←ここ大事)
幸村の父、真田昌幸の嫡男にして真田家跡取り。昌幸と幸村が徳川に敵対したため、親徳川派を貫いて真田家を幕末まで存続させた松代藩藩祖。智将として名高い祖父、父の血を受け継いで本人も至って優秀。戦国時代を生き抜き、御家取潰しの危機も乗り越えて藩政を充実させたため、政治家としての評価が高い。が、武将としても知謀、武勇に秀でていた万能人。父と弟の助命嘆願、松代への移封、隠密に後ろ指指されない完璧な治世など、忍従の人としても名高い。
その一方で弟・幸村と熱い血潮をぶつけ合っていたらしく、犬伏で意見が分かれると激怒して弟を切ろうとしたり、逆に分かれた後に弟が兄が支配する沼田城下を焼き払おうとしたり、けっこう熱血兄弟である。でも普段は二人とも温厚で、洒落も解る人だったらしい(やはり賢いんだね)
個人的には弟・幸村とは仲良しであって欲しい(切実)



■BASARAキャラとの関係は?■
→真田幸村 まず、なんと言っても真田幸村の兄。しかも一つ違い。幸村は次男だから、幸村が兄と呼べるのは彼だけ。幸村に保保志ボイスで「兄上!」って呼んで、いや叫んで欲しい。「あぁにぃいいぅううえぇぇええええッ!!!」って絶叫してくれないかな。
更にドラマCDによると父・昌幸は亡くなってるので、幸村を「源二郎」って呼べるのも源三郎だけ。「幸村」じゃなくて「源二郎」ですよ。呼んで欲しい!
史実では東軍と西軍に分かれたけれど、BASARAでも敵対してくれたら泣いて喜びそう(私が)オフィシャルで敵対してても脳内で仲良しにするので全く無問題。

→本多忠勝 実は信幸の正妻は本多忠勝の娘、稲姫。家康が真田懐柔政策のために、忠勝の娘を自分の養女にして信幸へ嫁がせたが、忠勝も信幸を評価しててノリ気だったらしい。さらに第二次上田合戦後、本人達の努力の甲斐なく西軍惨敗。どうしても昌幸、幸村を殺そうとした家康に、忠勝は「自分も敵にまわすつもりか」と詰め寄って切腹から流罪に減罪させたくらい信頼関係が深い。とある雑誌では「愛しい婿殿(=信幸)のために関が原の恩賞を蹴ってわずか十万石に収まった」と言われるくらい、信幸が大好きだったもよう。ちなみに、その後信幸は徳川に遠慮して幸の字を之に変更したらしい。
徳川の綺羅星のような武将達の中からBASARAシリーズに忠勝を出した時点で、信幸出す準備だろ?と勘ぐれる。

→伊達政宗 政宗から信幸に宛てた手紙が2通残っているのだが、いずれも政宗からのくどい内容に対して返事をしたのか怪しい。62万石の大大名からせいぜい10万石の小大名に手紙やったってのに、大してありがたがってなさそうなのが兄の器のデカさである。



■その他、素敵な真田家の男達■
真田家がスゴイのは、やたら優秀な男達を輩出していることである。
普通、戦国時代で兄弟が5人かいたら、2人駄目で1人だけ突出、くらいの比率なものだが、真田家はほとんど優秀。家督争いもせず、団結して家を興すことに協力を惜しまない。DNAって怖いね。
真田家は初代を幸隆としているが、猛将タイプと謀将タイプの両方を排出してるのがスゴイところ。
謀将タイプ…幸隆、昌幸、信尹、幸村
猛将タイプ…頼綱、信綱、信幸
しかも猛将と言っても真面目で忠義心に熱い意味での猛将。賢いのは真田の伝統なので当たり前。そう考えると幸村が死に花咲かせられたのって真田の優秀な血の集大成なのかもしれない。
一方、御家を存続させた兄上の子孫はいずれもパッとしない。息子の信吉、信政は大阪の陣までは頑張ってたのに、信之より先に死去。その後恐怖の相続争い勃発。兄が92歳の老骨にムチ打ってこの騒動を収めた。
でもまぁ、外様なのに幕末まで取り潰されなかっただけマシか。

■真田幸隆
信幸、幸村の祖父。武田信玄に仕え、智将として名を馳せる。武田二十四将の一人。山本勘助死後はポスト勘助として武田氏の軍師役を務めた。つまりとっても頭脳明晰。具体的にどう苦労したかよく解らないが、どの本読んでも「並々ならぬ苦労をした」と書いてあるからきっとハンパなかったのだろう。真田の庄から興った一族なので、幸隆の代から真田姓を名乗った。

■真田昌幸
信幸、幸村の父。幸隆の三男。人質として信玄の元に居たが、メキメキと頭角を現して小姓から躍進。武田氏の名家を継ぐまでになる。父と共に武田二十四将の一人。
信玄死後は、信玄以上に優れた武将が見当たらなかったのでベンチャー独立。見事北条、徳川の大大名の間で真田家を発展させる。
徳川の大軍を二度破った戦歴は他の追随を許さない輝かしい戦歴である。

■真田信綱
幸隆の長男。昌幸の兄、つまり信幸、幸村の大伯父。
真田本家を継いでいたが、武田勝頼の無茶な侵攻のため長篠の合戦で戦死。外様なのに父、弟と共に武田二十四将に名を連ねるあたり、かなり優秀だったもよう。
謀将・猛将タイプの話を前述したが、この信綱と信幸は猛将タイプ。真面目で主家への忠義を貫き通したあたり、信幸はきっとこの伯父さんをリスペクトしてたんだよモエv

■矢沢頼綱
幸隆の弟、昌幸の叔父。つまり信幸、幸村の大叔父。
昌幸の代には家臣の筆頭として沼田、岩櫃城代を務める。昌幸に「叔父が負けるなら自分が戦っても負けていた」と言われたくらい信頼を集めており、北条軍、徳川軍を撃退した経験を持つ。重要な所には必ず配置されていた。頭も良いが高齢になっても歴戦のツワモノだった。
信幸、幸村が幼少時代、この大叔父に預けられて育てられていたらしい。超モエ。
更に息子・頼康も賢くて信幸に仕え、松代藩時代には筆頭家老になっている。

■真田信尹
昌幸の弟。武田氏滅亡後、家康に仕えた。兄と真田家を心配し、たびたび徳川との仲を取り持つよう努力、その政治手腕と感覚はさすが真田家ってカンジ。
大阪・冬の陣において幸村があまりにも際立っていたため、家康の意を含んで幸村のスカウトにあたったのは有名(断られたけど)。



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