■真田家対抗ビーチバレー大会・3



その佐助であるが、実のところ父親の心配どころではなかった。
相手はあの、真田太平記のヒロイン・お江である。
一巻の当初から登場し、十二巻の最後までその存在感を余すところなく強調しているお江は、小松ともよが束になっても敵わないくらい、存在感と色気と華と気迫が違う。
当然、佐助にとっても強敵だった。お江は草の者としても有能極まりない。佐助など、お江に比べればいつまで経っても青二才なのである。
二人は、互いににらみ合ったまま微動だにしない。コートにはむしろ邪魔なくらいだが、二人の間では今、高度な心理戦が展開されていた。恐くて誰も近寄れない。いや、もっとカッコ良く言えば、無我の境地に入り込んでいる二人には、誰も声をかけられなかったと言っていい。
その心理戦だが、あまりにもハイレベルの争いだった。
戦いによくある竜虎絵図や高校野球の決勝戦などでは追い付かない。箱根駅伝のリタイヤ寸前みたいなイッパイイッパイの空気の中、確かに二人の間では白熱した空気が飛び交っていた。忍び同士の戦いは高次元過ぎて、筆者にも良く分からぬ。
その様を見て、又五郎が昌幸に進言した。
「そろそろお江が作戦に出るようですな」
「むぅ…」
お江に並ぶ手練れである又五郎の言葉なのだから間違いはないだろうが、昌幸には解らぬ。低くうなったのみで、お江に視線を集中させる。
そして絶句した。
「こ、これは…っ」
いつの間にか、当たりはピンクな空気に包まれていた。
戦場の空気を読むことに長けた智将・真田昌幸だからこそ、いち早く察知出来たと言っていい。雑兵程度には、あと10分は場の雰囲気が変わったことに気付くまい。
昌幸は眉を寄せて渋面を作った。
何が起きたのか、まだ見極めがつかぬのだ。
だが、そのしかめられた眉はたちまちのうちにだらしなく垂れ下がってしまった。
女好きは生涯治らぬと、己を見極めている昌幸である。理由は解ったが、解ったからどうこうしようという判断力は、既に失われていた。

「むぅん…」

その甘い声を聞いたのは何人くらい居ただろうか。
とりあえず自軍でも、弟とのバトルが楽しくてしょうがない源三郎と、その源三郎と共にバトルしているのが楽しくてしょうがない右近は聞いていなかった。
だが、何気なく源三郎方のコートを見ていた野郎共はひとたまりもなかった。
皆して阿呆のように口を開け、お江を眺めている。
お江は、胸元からこぼれんばかりの胸乳の谷間を惜しみなくさらしつつ不敵な笑みを浮かべていた。そのへんの農家の娘や武家の姫には到底出せない気迫に満ちた色気に、一同声もなく見入っている。
まさに貫禄の違いだった。
好きな子のパンチラを見れば誰でもボーっとするだろうが、好きでなくてもお江の胸チラには呆然自失させる威力がある。
そしてその色気は、敵軍のコートにも直撃した。

源二郎軍はにわかに劣勢になった。
源二郎、佐平次の動きが鈍くなったのだ。
だが、おかしいなと思いつつもそんなことどうでもいいからもっと胸!ナイス胸!谷間万歳!とか内心叫んでる野郎共多数。源二郎と佐平次は動揺し過ぎて浮かれられなかった。源二郎は真正面に大好きな兄と大事な試合の最中だし、佐平次に至っては至近距離に妻子がいるし。
ボールに集中出来なくなった源二郎軍は、次々と得点を許してしまう。なんとかしなければと思うのだが、焦れば焦る程どうしていいのか解らない。まさにお江の術中にハマり込んでいる状態だった。
「…お江」
そんな中、源三郎が静かにお江を呼んだ。
試合中でも冷静極まりない源三郎の声に、お江は感心しつつ頭を下げる。
「は。なんでございましょう、源三郎様」
「真剣勝負のさなかぞ。色香を使うな」
落ち着いた声音の中に有無を言わさぬ厳しさを感じ、お江は驚きを隠して居住まいを正した。それでも確かめずにはいられず、つい尋ねてしまう。
「…なぜ私が色香を使っていると?」
「源二郎と佐平次が動揺しておる。もよが平気な顔をしている所を見れば、何かしておるのは女であるそなたとしか考えられまい」
ついでに父も挙動不審だったが、さすがにそこまでは言わぬ。さらに女というなら奥の小松である可能性も無きにしもあらずだが、自分だって最近アヤシイのに、小松の媚態によろめく源二郎ではない。
源三郎の、探偵みたいな理路整然とした指摘にお江は潔く頭を下げた。
「恐れ入りましてございます」
真田源三郎信幸、お江を恐れ入らせるだけでもタダ者ではなかった。



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