■疼キ・5


政宗はよく無茶を言うが、出来もしないことが出来ないからと責める性質ではない。
だからと言って、出来ないからと遠ざけているようにも見えない。
つまり、違う手立てを考えろと言いたいのだろう。
小十郎だとて、禅師の問答で無理難題には馴染んでいる。
謎掛けのような主君の言葉に逡巡した刻は、極めてわずかだった。

「失礼します」

小十郎は政宗の肩に羽織を掛けると、その上から手を回して抱き込んだ。
一歩にざり寄り、己の肩に引き寄せる。
若くとも戦陣では百戦錬磨の大将である政宗は、しっかりと筋肉のついた広い肩をしている。それでも、大柄な小十郎の腕にはいささか余裕があった。
昔は抱き上げるたびその細さと軽さに驚いたものだが、さすがに今、それはない。すっかり成長したものだと、かつて傅役であった感慨が込み上げてきた。
家督を継がれてからは、家臣として距離を置くようにしていた。こんなふうに触れたことはない。久方ぶりだから、成長しているのも当たり前だろう。
「…なんの真似だこれは」
政宗の、憮然とした声に小十郎は我に返った。場違いに和んでしまって動揺したが、それを微塵も漏らさず、微笑したまま応える。
「はい。当面の寒さをしのごうかと」
「お前のか?」
飽きれたような声に、誠意を込めて反論する。
「政宗様のです」
「要らねぇよ」
ぐいと押し返されそうになるのを、肩を掴んだ腕に力を込めて離さない。政宗の顔が己の肩に触れるほど抱き寄せた。
「ですが、冷えていらっしゃいます」
抱き込んだ肩が冷たい。足だけでなく、肩まで出して寝ていたのかと思うと、主君の寝相が不安になった。寝相より以前に、この冷たさで既に体調を崩していないかが不安だ。眼窩の痛みも、この寒さのせいに違いない。
「少し、温めさせて下さい」
「お前をか?」
再度の飽きれ声に、更なる誠意を込めて反論する。
「政宗様をです」
「…」
反論が思い付かないと言いたげな沈黙だった。
ヤレヤレとかフゥとか、内心で嘆息しているのが声として聞こえてくるようだ。というか、実際の声になっていない方が珍しい。
小十郎が主の様子をうかがおうと顔を上げる前に、肩に重みが増した。頭を、肩に預けられたのだと気付いたのは、頬に主の髪が触れたからだった。
「…政宗様」
小十郎は狼狽していた。自ら肩を抱いたくせに、それに応じられてうろたえているのだ。こんなバカな話があるだろうか。
「なんだ?」
政宗は判っているのに気付かないフリをしたような、楽しげな笑いをにじませた返答を寄越した。ますます返す言葉に困る。
結局小十郎は、全く違うことを口にした。
「ここは北の戦場ではありません。吹雪に見舞われて立ち往生している訳ではないのですから、痛むなら癒す。敢えて耐え忍ぶ必要はないでしょう」
何かを仄めかした物言いに、さすがの政宗も気付く。北の、と限定して時点でクセ者だった。
「…気付いてたのか」
いつの話か年を思い出すのも面倒だが、たぶん思い描いているのは同じ時と場所。自分と小十郎に限って、そんな隔たりなど疑う余地はない。
それは小十郎にとっても同じようで、確かめもしないまま話を続けられた。
「あの折は、激戦のさなかで介抱する余裕がありませんでした。でも今は違う。埋め合わせというには、都合が良すぎるかもしれませんが」
激戦のさなかに痛みを癒す余裕も労る余裕もなかったのは政宗であり、小十郎のせいではない。埋め合わせという言葉は成立しないはずなのに、当然のように反省しているのだ。
政宗はバカバカしくなって、肩に預けたままの首をちょっと動かした。頬の傷跡を、こんな間近で見上げたのは何年ぶりだろう。怪我をして歩けなくなった子供時分以来のはずだ。そんな場違いな感慨にふけり、時が遡った錯覚を覚えた。
口が、勝手に違う言葉を紡ぐ。

「お前はなんで、冷えていないんだ?」

唐突な疑問だった。
子供のように邪気のない問いかけに、小十郎の口元がほころぶ。
「肩も足も出さないで寝ているからでしょう」
「あてつけかよ」
「まさか」
小十郎は言葉を探して間を置いた。
その間合いを、政宗は好もしく思う。
知将の誉れ高いこの男の沈思は、戦場では特に頼もしい。
もっとも今は、どんな搦め手を使って返事を寄越すか待つだけだから気楽だ。気楽だからこそ、楽しい。
「政宗様が、冷えてしまわれたからですよ」
「はぁ?」
突然の言葉に、政宗はおかしな声を上げた。
「政宗様が冷えれば、小十郎は暖かくなるんです。そうしたら、政宗様がお困りにならない。小十郎の体はそうなっているんです」
どこまでも生真面目な声に、ふざけている様子は微塵もない。政宗は大仰にため息をついた。
「面倒な体だな」
「便利とおっしゃって下さい」
「自分で言うか」
小十郎は力強く頷いた。
「無論」
返答には、わずかのためらいもない。
「政宗様にとって使い勝手が良いならば本望です」
たとえ右目の痛みが癒えなくとも。
そばに居るだけで満たされたと感じたのは政宗だった。
そして小十郎も、この場この時に必要とされて満足している。
心強いとは、死んでも口にする気はなかったが。
代わりに、小十郎の肩に頬を預けた。
「だったら早く、あっためろ」
「承知」

ぼんやりする。

政宗は再び、小十郎の頬に残る傷跡を見上げた。
そういや子供時分、ケガをして抱き上げられた時は、恥ずかしくてこいつの顎に頭突き食らわせて逃げ出したっけと、どうでもいいことを思い出す。あの時よりはるかに恥ずかしいことをしている気がするのに、今は腕の温かさに負けてとても動く気にならなかった。
たまには甘えてもいいのだろうか。
面倒くさがったり腰が重くなったりするのは、老将や老臣によく見られる現象だ。

…俺も年食ったかな。

己の行動に見当違いな結論を付けて、政宗は小十郎の肩に頬をすり寄せた。




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