■疼キ・3


「起きていらっしゃいますか」

耳を疑った。
風のいたずらかと。

「…政宗様」

一日と欠かさず聞いている声。
己を呼ぶ、声音の形を聞き違えるはずはない。
「…なんだ」
やや呆然と呟けば、忠実な家臣が襖の向こうで一礼する気配がした。
「冷えて参りました。布団をもう一枚お渡ししようと思いまして」
そんなことは小姓の仕事だ。
側近中の側近である、彼が気に病むことではない。
だが、そう言って言葉遊びを楽しむほど今の政宗はひねくれていなかった。 否、その余裕がなかったと言っていい。
「要らねぇ」
言ってから、そうか寒いのかと思い至った。
寒さなど、感じていなかった。
痛みだけ、疼きだけで。
この身は満たされていたからだ。
「…」
試しに足の指を動かしてみた。
動かない。
いや、感覚がない。
何度か繰り返しているうちに、ようやく指の感触が戻ってきた。
途端、氷付けになっていたかのように、指先から足首にかけてしびれに似た痛みが走る。
政宗は眉をしかめた。
この痛みは慣れている。
雪国に住む者なら誰でも経験するものだ。
だが、我慢すべきものではなかった。
長時間寒さを堪えていると、そこには血が通わなくなる。やがて感覚が無くなって、凍傷を起こすのだ。凍傷は、ひどいものになると壊死を起こし、死んだ部分を切り捨てなければならなくなってしまう。
指を切られてはたまらない。
「…やっぱ寒ィ」
素直に告白すると、家臣の苦笑が聞こえた。
「また、足を出して寝ておられたのでしょう」
毎度のことながら、見てもいないのによく解る。
政宗が足を出して寝ること。
要らないと一度断ってからすぐ前言を翻すこと。
この家臣には何もかもお見通しなのだ。
面白くない気分で、舌打ちをひとつ。
困らせてやりたかった。

「酒」

まさか酒は用意してあるまい。
家臣が小姓に言い付けて、持ってこさせる間に起き上がればいい。
側近と言えど、目覚めていて起き上がりもしないこの醜態をさらす訳にもいかない。
だが。
「失礼します」
起き上がろうとした瞬間、襖が音もなく引かれた。
政宗は横たわったまま、驚いて右を向く。
「早ェよ」
毒づいただけで、起きる間を逃す。
側近、片倉小十郎は深々と一礼した。
「おやすみのところ、誠に申し訳ございません」
「いいさ」
勢いをつけて上半身を起こすと、くらりと目眩に襲われた。
痛みが、頭の中でふりこのように揺らぐ。
それを、しかめ面してやり過ごした。

忌ま忌ましい。

身を起こしてみると、俄然寒さを感じた。
暖かい寝床から離れた上半身に、素早く冷気が忍び寄って来る。
この中で長時間素足をさらしていたのだから、冷えて当たり前だろう。
政宗はあぐらをかいて、腿の下に足を入れた。
冷たい。
同時に、瞼の奥にも疼痛が突き抜ける。
舌打ちしていた。
「どうかなさいましたか?」
顔を上げると、見慣れているはずの顔を別人のように感じた。薄闇に、鋭利な輪郭とこちらを見つめる瞳が浮かび上がる。その瞳は、見馴れた穏やかな色をたたえているのだけれど。どこか知らない者のように思えて、その理由が判らない。

−夜中に。−屋敷で。−突然。−右眼が疼いて。

こんな状況が初めてだからだろうか。考えも上手くまとまらない。
政宗は、言葉よりその意外に驚いてしまって、何を言われたのか理解できなかった。
しばらく惚けたように小十郎の顔を見ていて、ようやく言葉を見つける。
「…ああ、手前ェの足が冷てェからムカっ腹きただけだ」
咄嗟のことでも、これだけの嘘が言える。
政宗は本音を、冗句の合間に覗く程度にしか明かさない。本音を聞き取れる家臣は稀だった。
「政宗様は、寒さも我慢してしまうところがありますからね」
小十郎は判っているのに気付かないフリをしたような、そんな鼻持ちならない笑みで切り返してきた。無性に腹が立つ。
「悪ぃか」
ドスの効いた声で睨み返すと、それに何ら感慨を受けていないゆっくりした笑みが返ってきた。奥州三万の猛者を束ねる独眼竜の一睨みを笑顔で流すのは、こいつくらいだろう。
「いいえ。我慢強いのはけっこうなことです」
小十郎は傍らに徳利を置き、布団を置いて居住まいを正した。
「用意が遅れてしまい、申し訳ございませんでした」
政宗が寒いと言ったのを気に病んだのだろう。相変わらずの堅苦しさに、返答するのも面倒になった。隣の間にいる小姓すら気付かないことを気付いた時点で賞賛ものだ。もちろん、そんなことをいちいち褒めたりする面倒な間柄ではなかったが。
「構わねェよ。それより酒」
愚痴もこぼさない代わりに労いもせず、政宗は鷹揚に顎をしゃくる。小十郎が徳利に手をかけた。
「まずは一献」
差し出された杯を受け、一気に飲み干す。
熱の塊が喉を滑り落ちた。
「…ずいぶん強ェの持って来たな」
立て膝に肘を乗せくつろぐと、独り言のように呟く。飲めない、酔ってしまうという不満ではなかった。自他共に認める酒豪である政宗は、酒は酒精の強い方が好みだ。
小十郎が軽く一礼する。
「手っ取り早く温まって頂こうと思いまして」
「なんだよ、手抜きか?」
酒一杯で気分がよくなってしまった政宗が、上機嫌で聞き返す。しかし小十郎の返答はあくまで真面目だった。
「白湯などの方が良かったですか?」
「野暮を言うな」
早々に二献目を空けた政宗が、笑いながら答える。
寸暇でなぜこんなに陽気になってしまったのか、嫌々ながら理由は解っていた。
現金なものだと思う。
痛む右目を抱え、一人過ごすには夜が長過ぎた。
そんな気が滅入っていた時の、思いがけない家臣の訪問に、こんなにあっさりと喜んでいる自分がいる。
単純なものだと、飽きれるほかない。
冷えきった体が、徐々に熱を帯びてくる。
政宗の顔上にほろ苦い笑みが浮かんだ。




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