■疼キ・1


春分を過ぎ、清明を迎える頃。
夜の寒さも随分と和らぎ、ここ奥州にも春の気配が感じられる季節になってきた。
弥生も末だ。
朝夕の寒さはさすがにまだ厳しいが、
日中の日差しは思わず微笑んでしまいたくなるほど、暖かい。
だからもう、冬は終わったものだと思っていた。
獣達が目を覚ますにはまだ寒い、そして暗い宵の闇。
それは、唐突に来た。

「…っ!」
一瞬にして貫かれた激しい痛みに、背が仰け反る。
咄嗟に、どこが痛んだのか判らなかった。
熱が、体を一直線に駆け上がる。
政宗は思わず手を当てた。
右目。
頭で考えるより先に手が動いた場所だった。
瞼の上から掴むが、痛みに届かない。
もっと奥深くからと知れただけだ。
思わず、うなる。
痛みは去らなかった。
開かない瞼の奥が熱い。
「ッ…」
眼孔に火掻き棒でも突っ込まれたようだ。
熱さと痛みが混ざり合っている。
堪えるように、うつ伏せになった。
敷布を掴み、痛みをやり過ごそうとする。
「…っは」
徐々に痛みが広がっていく。
食いしばった歯の間から、うめきが漏れた。
それを、喉の奥でこらえる。
隣の間に控える小姓には聞かれたくなかった。
寝ずの番をしている彼らは、政宗に異変があればすぐ気付く。
声は、出せない。
無用の心配をかけなくないなどと、殊勝な理由からではなかった。
言っても治らないことを知っている。
誰にも、どれほど痛むかも量れはしない。
ましてや一国の主が、古傷が疼くだなんて。
恥をかくだけだ。
だから明かすつもりはなかった。
ただ、痛みが尋常でないだけで。
耐えればいずれ失せる。
死病という訳でもない。
久しぶりだから忘れていただけだ。

…大したことねぇ。

意識して、ゆっくりと息を吐いた。
薄闇に薄く、夜具の白が浮かび上がる。
己が握り込んだ、敷布の膨らんだ皺が仄明るい。
それを呆と眺めながら、古い記憶を思い起こした。
秋から冬に、急に変る寒い朝。
春から冬に、急に戻る寒い夜。
こんなふうに冷えた時は、決まって起こることだった。

疼き。

右目の奥深くが痛む。
そのしびれは、体中に広がっていく。
やがて頭を揺るがすように大きくなり、指先まで届く。
指先まで届ききらぬうちに、次の痛みが広がる。
それは浜に押し寄せる波に似て。

きりがない。

苦笑がもれた。
戦場で受ける痛みとは全く違う。
斬られた、打たれたという外身の問題ではない。
もっと奥深くから、ゆるゆると全身を侵していく波。
政宗はこれが苦手だった。
裂傷や打撲と違い、耐えるのがひどく困難なのだ。
もちろん、顔に出さない自信も気取られない自信もある。
秋に北へ出陣した時など、疼きはこの非ではなかった。
こちらでは雪もまだだったのに、わずかに北上しただけで急な豪雪に見舞われた。
吹雪に遭い思うように進軍出来ず、右目も痛んで最悪だった思い出がある。
それでも、誰にも何も悟られずに済んだのだ。
屋敷で寝ているだけの今、耐えられぬはずがない。
政宗は無理矢理に目を閉じる。
だが、いくらもしないうちに目を開けた。
浅い息。
呆とする頭。
「やべェ…」
仰向けになり、天井を仰いだ。
痛み過ぎて眠れないのだ。
片目は、閉じていても開いていても変わりなかった。
閉じたままでも一向に眠気は訪れず、仕方なく瞼を開く。
楽しいものが見られる訳ではなかった。
仄暗い闇の中に、ぼんやりと梁の白が浮かび上がっている。
闇と静けさ。夜はまだ、深いと知れる。
何か考えようとしても、痛みに邪魔されて思いがまとまらない。
ゆらり、ゆらりと、夢と現実の間をたゆたう舟のようだ。
起きているのか眠っているのか、境は曖昧なままだった。




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