■陰行夜話・9


幸村は肩で息をしていた。
もうまっすぐには立てないほど、疲労が溜まっている。
双槍を掴む手の感覚は既に無くなっていた。
ただ敵を見つけた瞬間に、腕の先のように刃先が伸びて相手を狙う。
考えるより早く動く体は、動くモノに反射するだけのカラクリのようだ。
木立が多く一箇所に集まりづらく、丘と呼ぶにはやや低いが敵より高地。
なるべく優位な場所を選んだつもりだったが、周囲の味方は徐々に減りつつあった。
何しろ絶対数が違い過ぎる。真田隊の一人一人は優秀であり気力も充実していたが、敵が多過ぎるのだ。一人ではなく、複数で行動するようにと下知してあったが、多勢に無勢で戦い続けていれば、打ち取られるのは時間の問題だった。
幸村がまだ生きているのは、ひたすらに幸村を守るためだけに配置された忍のおかげだろう。

情けない。

乱暴に手の甲で汗をぬぐい、前方を睨み据えた。
真正面にいた兵卒共が、一斉にたじろいで槍先をにぶらせる。
それ自体が炎を宿しているような、幸村の強く鋭い視線に脅えたのだろう。
しかし幸村は目の前の敵を見ていなかった。
この厚い隊列の向こうに居るであろう敵大将を見据えている。正確には、そこまでの距離を測っていた。あるいは忍に頼らずとも、自ら切り込めるかと。
佐助の仕事は疑っていなかった。
必ずや敵将の首を落としてくるだろう。
だが、行けるものなら自ら打ち取りに行ってもいいはずだ。

「…」

苦笑を隠すように、頭を一つ振る。
無茶を考えているのは自分でよく判っていた。
敵将の眼前に出ることよりも、この場で持ちこたえられるかどうか。
はるか手前で躓いているではないか。
否、持ちこたえなくてはならなかった。
信頼すると言ったのだ。
死の瞬間まで、決して佐助を疑わない。
そして佐助の信頼を勝ち得るためにも、死ぬ訳にはいかない。
幸村は棒のように引きつれた不自由な両手で、愛槍を握り直した。
「幸村が槍、まだ折れてはおらぬ」
その性根も、まだ折れたつもりはない。
何しろ決して破れぬ約束があるのだ。
なんとしてもここは死守する。
その決意を、改めて胸に刻み込んだ。

「…佐助」

あれほどの忍に信頼してもらえるならば。


この場は、死を賭けるに値する。



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