■陰行夜話・8


佐助は全力で元来た道を戻っていた。
道と言っても佐助は地面を走らない。木から木へ飛び移って最短距離を行き、道を迂回する愚は避けていた。木の幹に対して、真横に近い状態まで体を傾けることが出来るのは佐助ならではの異能である。足指の力が発達し、幹や枝に無理な体重をかけて折ったりしない。尋常ではないバランス感覚の持ち主と言えるだろう。猿飛の異名は、この移動が誰よりも抜きん出て早いことから来ている。同じように戻っている他の忍達を大きく離していた。
佐助は息を付く間もなく、木々の間を飛び移る。
その顔には焦燥の色が濃かった。
任務に失敗したからではない。
敵将はあっさりと仕留めた。その次の段階を心配しているのだ。
ただでさえ今、敵は残党狩りで油断している。特に工夫も無く、隠れた木立の中から苦無を投げるだけで十分だった。もっとも、投げた距離と本数は通常の忍の2倍以上だったが。
本当は、首を掻き切って持って来るのが理想的だった。
だが、そんな手間をかけている間に敵将の家臣・譜代共に囲まれる。囲まれても抜ける自信はあるが、時間がかかる。さらに取られた首を取り返すために追われる。
とにかく佐助は急いでいたので、とりあえず仕留めるだけ仕留めてさっさと退却していた。
今頃背後は大騒ぎになっているだろう。
何しろ指令系統の一番上が潰されたのだ。代わりに指揮する者がすぐ出てくればいいが、誰が指示を出すかでまごついていればいただけ混乱が増す。佐助の見たところ、それほど優秀な配下はいなかった。
騒ぎから逃げ出すように戻って来ているからまだここまで伝播していないが、そのうち撤退命令が出るだろう。残党狩りのためのトップが居なくなれば、敵軍は統率が取れなくなる前に引くしかない。それまで幸村を守りきらなければならない。
敵大将の首を取るのがそれほど難しくないのは判っていた。
幸村が、追っ手を引き付けておいてくれればくれるほど楽になる。
問題は、幸村が陽動している間に殺されてしまうかもしれないことだった。
何しろおとりとはいえ、数倍の敵に囲まれているのだ。一瞬の隙が命取りになる戦場で、劣勢の中に身を置き続けたらどうなるか。いかな勇将でも生き延びるのは難しいだろう。
だからこそ、佐助は急ぐ。
信玄に頼まれたからではなかった。
何としても幸村を生かしたいのは佐助のわがままだ。

「無謀だと思うか?」

挑むように問いかけてきた眼差しが忘れられない。
忍は、金ずくだ情がないと、知りもしないのにさんざん非難される。
だが、命がけで働くという一点においては武士と変わるところはない。負けると判っていて主家に殉じる家臣はいるが、忍にそういった者が居ないからと忠誠心を疑われるのは心外だった。
佐助達は主や家の繁栄を信じて戦っているのではない。
己の技量を信じて戦っているのだ。
賭けるものが違う。
だからこそ、無駄死にを嫌う。
だがらこそ、働きに差はないはずだった。
幸村に死ねと言われれば死ぬ覚悟は出来ている。
己の死と引き換えに、大きな働きをする自信もある。
問題は、その采配をするだけの技量が主にあるかということだ。
幸村は佐助に生きろと言い、自らも生き残ると言った。
そんな選択肢を持っていなかった佐助は驚いて、そして思った。
あんな面白い奴を、群雄ひしめく戦国に生かしておかなくてどうする。
これまで多くの武将を見て、戦国の世を生きて来た佐助の勘がそう告げる。 信玄の傍らに置いておけば、絶対に世の中を面白くするだろう。
その助けが出来る。
こんな粋な仕事には、この先到底巡り会えないはずだ。
何しろ忍を捨て駒にしないで使おうとしている。
佐助の全力を行使出来る男なのだ。

幸村は絶対に死なせない。



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