■陰行夜話・5


ある時、大きな戦が起こった。
織田軍と領地を巡り、国境で衝突したのだ。
武田軍は苦戦し、辛うじて負けなかった程度まで持ち込んだ。しかしそこが限界であることは誰の目にも明らかであり、即時撤退することになった。
しかしこれがまた難題だった。
軍は進むより退く方が何倍も難しい。敗戦ならなおのこと。
武将達は誰を殿にするかで暗然となった。殿は全軍を逃がすために、捨て身の覚悟が無くてはならない。死ぬ確率も高かった。
だが、こういう時こそ誰かが真っ先に言い出さなくてはならない。
幸村はそのタイミングを解っていた。
「某にお任せ下されお館様。見事敵軍を食い止めてみせまする」
深く敬愛する信玄に向かい、頬を紅潮させて死に役を申し出る。その顔に悲壮感はなかった。
場が騒然となる。誰もが、今回の殿は生きて帰れないものと思っていたのだ。だが幸村は気負っている訳でもなく、まっすぐに信玄を見上げている。
「ほう、勝算があるのか」
信玄は幸村の様子を頼もしげに見遣り、その表情の意味を量った。
「真田隊は他より損傷も疲労も少のうございます。また退くなら後方の我らが一番適しておりますゆえ」
「それだけか?」
合理的な理由だけではは任せられない。それに、幸村にありがちな熱い意志論でもって全軍の士気を高めたい打算もあった。信玄はそれを待つ。
すると、幸村が不敵な笑みを浮かべた。
そういう顔も珍しい。どこかで自信をつけてきたらしいと、信玄は興味深く幸村を見下ろした。元々幸村の能力は高く買っている。彼に必要なのは、あと自信と経験くらいだろう。ゆくゆくは自らの片腕にと望む大器の片鱗があった。
さて何を言うのか。
興味深く待つ信玄に、幸村は拳を握りしめて宣言した。
「某は負けませぬ。最強の忍が付いてござるゆえ」
信玄が目を丸くした。



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