■陰行夜話・3


そうして何度か戦場を共にした。
幸村は聞きもしないのに自分のことをよく語った。近況や好きな食べ物や信玄のこと。特に隠しておく程の話ではないが、この気さくな態度がまた目新しい。御恩と奉公の世界に生きる武士から、金ずくで動く忍は嫌われやすい。幸い武田軍は大将である信玄の薫陶が行き届いているが、まず敬遠されて話しかけられることなんてほとんどない。にも関わず、幸村だけは佐助に対して物怖じしなかった。
それどころか積極的ですらある。
佐助を見つけるたびに、幸村は嬉しそうに走り寄って来た。どうしてこんなに懐かれるのか解らない佐助は、幸村の顔を見るたびに逃げ出したくなる。なぜ逃げ出したくなるのかも、よく解らなかった。
嫌いな訳ではないから、苦手なのだろうか。
人の裏側ばかり探る忍の常として、裏表のない人間が苦手なのもある。
また、師匠の元を離れた後、ずっと一人で生きてきた佐助にはその気やすさが珍しかった。このご時世、人は疑ってかかるのが当たり前である。しかし幸村は、どちらかというと人なつこい犬のようだった。
幸村と、たまたま山中で出くわしたことがあった。
佐助は薬草を取りに来ていたのだが、幸村は馬で野駆けの最中だったらしい。佐助は当然、幸村が近くに居ることに気づいていたが、逃げ出すように場所を変えるのも業腹で、その場に留まっていた。
果たして、佐助の姿を見止めた幸村がすっ飛んで来た。

馬で。

「佐助ー!」
佐助は逃げ出した。なぜか、恥じらいにも似た焦りを感じたからだ。いや、単純に馬の勢いが怖かっただけかもしれない。
ともかく佐助はけっこう全力で逃げた。当然、幸村が追う。
「なぜ逃げる佐助!」
「アンタこそどうして馬で追いかけて来るんだ!」
「佐助が逃げるからだろう!」
「いや、そっちが追いかけて来たのが先だから!」
等々、猿のように敏捷に木々の間を逃げ回る佐助に勝るとも劣らない見事な手綱さばきで、幸村が追いかけてくる。
そうした不毛な追いかけっこがしばらく続き、ようやく佐助は事のアホさ加減に気付いた。降参のポーズで立ち止まる。すると幸村は、ちゃんと佐助の前で馬を止めた。
そして、飛び下りるとその勢いのまま抱きついて来た。
「捕まえたぞ!」
「…え?」
この場合、佐助は驚いて当たり前だろう。うかつにも硬直して反応が遅れてしまった。
何しろ武将の子息に、一介の忍が抱きつかれたのだ。どう考えてもおかしい。
「ちょ…、何してんですか!?」
「む、馴れ馴れしすぎたか。すまん」
慌てふためいた声に、幸村が身を離す。照れを隠さず笑いながら佐助を見上げた。
「どうも佐助に会うと嬉しくてな。つい寄って行ってしまう。だが、迷惑だったら改めるぞ」
佐助はなんと返答したものか悩み、言葉を濁らせた。
「迷惑というか、普通忍に近寄ったりしないでしょ?」
「?佐助の言う普通はよく判らんが、俺は佐助が好きだぞ」
「すっ…」
続く言葉が出てこない。
正面切ってそんなことを言われたのは初めてだった。だが、幸村の満面の笑顔を見れば深い意味もなく言ったのがよく判る。その証拠に、幸村はこだわりもなくさっさと話題を変えてしまった。
「それはそうと、佐助は何しにこんな山奥まで来たのだ?」
「薬草を取りに」
言いながらもどっと疲れが来たのは、逃げ回ったからだけではあるまい。から笑いをしていた佐助は、更に驚かされてぎょっとした。
「手伝おう」
気さくに言うと、さっさと茂みに向かって歩き出してしまったのだ。
「え、あ、ちょっと!」
佐助は慌てて後を追う。だんだん訳が判らなくなってきた。
「こんな山奥で会って挨拶だけではおかしかろう。せっかくだから俺も手伝うぞ」
おかしいと言ったら気軽に忍の手伝いをしようとする武将もおかしかった。それ以前に山中で追いかけられるのもおかしい。
どうしてこんなに変なこと続きなのか頭をひねって、佐助はようやく納得した。薬草を探して茂みにしゃがみ込んでいる幸村の背中に呆然と呟く。
「…あんた、変わってるな」
「よく言われる」

ちょっとした嫌味のつもりだったのに、笑顔で返答されてしまった。



    戻ル