■陰行夜話・20


信玄とのやりとりを簡単に聞いた佐助は、ようやく納得して落ち着いた。
幸村は今回の手柄より褒章(つまり佐助を得たこと)に満足しているらしい。すっかり手柄顔である。むしろ褒めてほしそうだ。
一方佐助は、外見は落ち着いたものの内心は動揺しまくりだった。あんなに苦労したのに褒美が忍一人だなんてにわかに信じられない。しかも自分ってあたりがありえなさ加減満開だ。
己の能力に対して、卑下もしてないしうぬぼれてもいない。その佐助の目から見て、どう冷静に判断しても破格だった。佐助の値段としても、幸村の恩賞の受け方にしても、安過ぎるのだ。真田家の家臣に恨まれそうで、早くも気が滅入ってくる。
落ち着いたのもつかの間、決して楽しい部類ではない諸々の感情でぐるぐるしながら、ついでに今更疲れが出てきて足元もふらふらしてきた。目も空ろになってしまう。
幸村はそんな佐助の葛藤には気付かないようだった。
「そういえば先だっての退き陣で、意識のない俺を本陣まで連れ帰ってくれた礼がまだだったな。すまぬ、助かった」
勢いよく頭を下げられて、佐助はまた別の驚異に直面して後ずさる。
「いやそんな今さらっ!し、…仕事だしっ」
忍に頭を下げる武将なんて見たことがない。どんな卑屈なフリをしたって、プライドの塊みたいな武士が忍に頭を下げることは出来ない。やったらその後腹切るだろう。
なのにこのマイペース武将ときたら…。
佐助は飽きれるより呆然として幸村を眺めた。
なんでこんなにあちこち規格外なんだろう。
にこにこと笑っているのも意味が解らない。佐助は首を傾げた。
「何?なんでそこでそんな笑っちゃうの?」
佐助はまたそこで、ものすごいことを言われて仰け反りそうになった。
「仕事仕事と言う割に、誰よりも見事な働きをするのがお主らしいと思ってな」
仰け反るというか、逃げ出したい。たじたじとなった佐助に、幸村がトドメの一言を放った。

「軽口に実力と行動力が伴っているというのは見ていて気持ちがいいな。いかにも一流の忍らしい」

「!」
自分で顔が赤くなるのが解った。
そして、今までずっと不思議に思っていた謎が一度に解けてしまった。
怜悧な頭脳とうわべの言葉に騙されない眼力。元の気性がのんきなので気付かなかった。
だが、幸村はちゃんと解っていたのだ。
佐助が軽口を叩くのは、意地のようなものだ。反感を買うことくらい百も承知している。忍にあるまじき軽率な振舞いよと、同郷の女忍に何度たしなめられたか判らない。
しかし佐助は改めなかった。
師匠や信玄など、人品が尊敬出来る者は決して佐助の言葉を軽蔑しなかったからだ。代わりに佐助は、佐助の軽口を侮蔑する武士達をひそやかに見下していた。なぜなら、彼等は一様に大した人物ではなかったからだ。
判る者にだけ判ってもらえればいい。
子供じみた意地だ。
だが、思わぬところで面と向かって指摘されてしまった。
ここまで看破されて、これほど恥ずかしいことがあるだろうかというくらい恥ずかしい。いっそ消え去りたいくらいだ。赤くなったのをごまかすように片手で口元を覆ったが、幸村は気付かないように微笑んでいる。
「お主が誇り高く任務に忠実な忍であることは解っている。いや、任務に忠実なことがそのまま誇り高さになっているのか」
あの退き戦で完敗だと思ったけど、まだまだだった。
幸村がこんなにものの見える武将だと、正直思っていなかった。こんな、人の本質を見抜くことの出来る人間だとは。
佐助はがりがりと頭をかいた。
「俺も少し改めないとねー…」
ぼそりと呟いた独り言は、幸い、かりそめ改め新しい主には聞こえなかったらしい。相変わらず邪気のない笑顔を向けて来る。その様を見てため息がもれた。
接するごとに新しい部分が垣間見える。しかも、そのたびに敗北感味わっちゃう主従って世間的にどうなんだろう。
…そうだ、かなわないって思ったばっかりじゃん俺。
昨日の今日なのに忘れてどうする。しかも昨日はジャブだったのに、今日はけっこう強烈な右ストレートだ。
さながらパンチを食らったようにふらりとして、あれこれと諦め気分になり始めた佐助を幸村が見上げた。
初めて会った時から何ひとつ変わらない、まっすぐな眼差しが佐助を射抜く。

「佐助の働きぶりは常に誇り高く清清しい。俺もそんなふうになりたい。
だから共に戦いたいと思った。いかぬか?」

立場上、佐助に否やを唱えることは出来ない。
出来ないが、する気も起こらなかった。
やっと見つけた理想の主なのだ。
佐助の命を賭けるに値する主。
向こうから望まれるなど、そんな望外の幸せはこの先もあるまい。
口元だけで笑い、膝をついて頭を垂れた。

「この命ある限り、おそばに」

「うむ」
嬉しげに頷いた後、幸村が急に佐助の前にしゃがみ込んだ。また抱きつかれるのかと仰け反った佐助に、その分身を乗り出した幸村が詰め寄る。
「でな、早速だが佐助、体術の訓練がしたい」
佐助は別の意味で絶句した。
「頼むから今日は寝ててよ…」
今だって微熱だろうに、動いたらもっと体温上がっちゃうこと請け合いだ。呆れ気味に言う佐助に、幸村がぷぅと頬を膨らませた。
「ではお屋形様に頼んでくる」
「違うって!俺じゃなくて旦那に寝てて欲しいの!」
「寝たら忘れてしまうではないか」
本気で心配してるんだろうか、どんな記憶力なんだそれ。
内心呆れたのを悟られないように、佐助はなるべく穏やかにたしなめた。
「俺がちゃんと覚えてるから大丈夫だよ?」
「そ、そうだったな…そのための忍だものな」
「そのためじゃないってば!」
言って、ふと納得した。

そのためでいいのだ。

有能な武将である幸村の、足りないところを補う忍であればいい。そのための力があればいいのだ。
「旦那が忘れないように、毎日言ってあげるから安心してよ」
花が咲いたような笑みと共に、幸村が抱きついてきた。
「これから、よろしく頼む」
耳元でその言葉を聞いて、佐助はもう一度決意を固めた。

持てる力の全てをこの主に−。



これが、幸村が17になる少し前の話。
余談だが、これ以後、幸村は修行の一環として信玄と殴り合うようになる。



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