■陰行夜話・17


翌朝、日が明けきらない間に佐助は洞窟を出ていた。
腕には眠ったままの幸村を抱えている。しばらく目を覚まさないのは解っていたし、起こす気もなかった。いくら若くて回復力があると言っても、死闘後の疲労と負傷が著しい体で動くのはキツいだろう。
佐助自身はほぼ回復していた。
元々たいした怪我も負ってないし、一晩洞窟で動かなかったおかげで体力は戻っている。
あとは幸村を武田本陣に連れ帰るだけだった。
任務完了まであと一歩というところだ。
しかし数歩と行かないうち、佐助は歩みを止めていた。
「…あれー?」
驚きに失笑が交じる。
周囲には複数の人間の気配があった。その数、十は下らない。今まで気配を殺し、佐助に悟らせず人を集めたあたり、相手は忍であろう。
「油断したつもりはなかったんだけどなー」
佐助はいくらでも気配を殺せるが、意識のない幸村は気配を殺しきれない。そこを探られたのは容易に想像出来た。
そして既に、囲まれてしまっている。朝を待って集ったのだろう。
「猿飛の異名を取るお主らしくない失態だな」
敵中の内から嘲りの声が聞こえてきた。発言の主が解らぬよう、右に左にと声がこだましている。佐助は軽く肩をすくめた。
周囲に忍が徘徊しているのはゆうべの時点で気付いていた。敵将の首を取ったのが忍と解り、相手も忍の追っ手を出して来たのだろう。
しかしゆうべは怪我人の幸村から離れられなかった。
だからこそ佐助は、自身の回復を図るのに専念していたのだ。その時点で出来る最上のことをしていたと言っていい。
「失態なんかじゃないさ」
要は切り抜ければいいのだ。
こんな所で倒れては主に笑われる。いや、期待された分失望される。そこだけは、佐助のプライドにかけて阻止しなければならない。
佐助は手近な木の幹に幸村の体を横たえた。幸村を守って計十五の忍を撃退する。
易くはないが、難い仕事でもない。
「逃げられると思っているのか」
幾重にも嘲弄が響く。佐助はまるで反応しなかった。脚を振ったり手首を回したりと、一見のんきに準備体操でもしているようだ。

「信長様が下手人の首をご所望だ」
「顔と首に十一本の苦無を打ち込んだまま連れて来いとさ」
「顔が顔と解らぬほど、隙間無く刺さねばならぬ」

それは昨晩佐助が仕留めた敵将の話だろう。心配してなかったけど、仕損じてなかったことに内心ほっとする。笑いながら渋面を作った。
「あちゃー、一本外したか」
投げた十二本の苦無の内十一本、兜の下の顔面に縫い付けられたならまず上々だろう。
しかし狙いが正確過ぎたゆえに、敵大将・織田信長の不興を被ったらしい。
確かに苦無が十一本も刺さってしまったら、顔面の皮膚に無事な部分などあるまい。
任務は成功したが、それで狙われては逆効果もいいところだった。
「ま、しゃーないか」
何しろ、真田幸村ほどの武将に信用されているのだ。優秀過ぎても仕方ない。いや、むしろあたり前か。
地理の確認というより、姿を見せない敵を探すように不敵な笑みで辺りを見回した。
どうも佐助は、ゆうべから妙な自信を持ってしまっている。
褒められ過ぎたのを真に受けて、幸村にほだされてしまったのか。
そうだとしても、それが慢心ではなく技の冴えに繋がる気がしてならなかった。
敵が何人居ようと構わない。
意識のない幸村を守りながら戦うハンデがあろうと構わない。
全てにおいて、あれこれと思い悩むのがバカバカしく思えてくる。
だがそれが、心身共に解き放たれたような開放感をもたらす。
ただ、目の前の敵を屠るだけでいい。
正直、早く己の力を試したくてしょうがなかった。
首を曲げてゴキリと関節を鳴らす。体の隅々に力が行き渡る様を思い描いた。体全て、指の先までが武器になる。それが忍の本領だ。
佐助は一度、目を閉じた。
ゆらり、と。
佐助の背後から黒い陽炎のようなものが浮かび上がる。

「いざ、忍び参る」

ようやく本気を出せそうだった。



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