■陰行夜話・14


悪ふざけは一人前になっても止められない佐助の本領だ。

口の端だけで笑うと、上体を倒して幸村の顔に近付けた。
「そんなに信じてもらってるところ恐縮だけど…」
ただ二人きりの空間であるにも関わらず、声をひそめる。膝の上にある幸村の首を、片手で握り込んだ。指を這わせ、頸動脈と骨の感触を確かめる。静かに問い質した。

「俺が今、あんたの寝首を掻いたらどうすんの?」

幸村は無抵抗だった。
顔は見えないが、視線を感じる。見えないながらもじっと佐助を見上げているようだった。表情が解らないことを残念に思う。落胆か、恐怖か、少しは神妙な顔つきになったのか。今どんな顔つきをしているのか知りたい。
と、幸村がぽつりと言葉を返して来た。
「死ぬな」
「結果の話じゃなくて…」
佐助はへろへろと脱力して、首にかけた指から力を抜いた。

だめだ、やっぱり勝てねぇ。

なんでこんなにうちのめされるのか解らないが、世の中に数多いるだろう同じ価値観を持った誰かに泣きつきたい心境だ。
幸村は佐助の膝の上で、変わらず全身の力を抜いたまま訥々と語り出した。
「真田は小豪族でな。周囲を北条、今川といった大大名に囲まれて、いつ滅ぼされてもおかしくない状況だった。父上など裏では表裏比興の者などと呼ばれておってな。しばしば敵味方を変えておった。しかし列強に挟まれた小国が生き残る術だ。父上はむしろその二つ名を誇っておってな。某も自慢に思っていた。
だが、その父上もお亡くなりになった」
突然始まった長話に佐助は驚いたが、黙って聞いていた。
「某は真田家を存続させると同時に、その二つ名も受け継ごうと思っておった。父上の遺志を継ぎたかったのだ。したがお館様にひどく諌められてな」
先程の話とどう繋がるのか、佐助はいまだに見当もつかない。
「まず人を信じよ、と。お館様はそうおっしゃるのだ。裏切られても揺るがないほど強い男になれと」
「…っ」
佐助はふいを突かれて言葉を失った。

「なるほどそれは、某の芯となるような快いお言葉だった」

声が微笑んでいる。顔を見ずとも、情感豊かな幸村の話し方は、聞くだけで表情が伺えた。その心根まで梳かし見えるようだ。
「だから佐助を信じる。佐助が俺を殺すなら、俺は死ぬだけだ」
「…それでいいのか?」
佐助は込み上げてくる感情をこらえて小さく尋ねた。
「ん?」
「誰でも頭から信じて、そんな簡単に死んじまっていいのかよ?」
時は戦国。優しい者、人を信じやすい者から殺される世だった。そうでなければ生き残れないからだ。甘い世の中ではない。
そんなことは、武将である幸村が一番よく解っているのではないか。殺すか殺されるかの世界は、尋常な根性では生き抜けない。
そうまで言っても、幸村の声は相変わらず落ち着いていた。
「良くはない。それに誰でも信じる訳ではないぞ」
そこで幸村がふと、小さく身じろぎした。肘をついて上体を反らせる。そのまま起きたかったようだが、気付いた途端に佐助が肩を押さえて止めていた。実際、回復していない幸村は動ける状態にない。
幸村は上体を起こすことを諦めると、再び真上にあるだろう佐助に視線を上げた。
「どうしても佐助の信頼を得たかったのだ」
真摯に語る口調に、佐助は呑まれて声も出せない。
幸村は次の言葉を探すように口をつぐんだ。佐助も無言のまま。

わずかな静寂が訪れた。



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